「自分」の評価を素直に受け止め葛藤しているアイドルから学ぶ
アンジュルムのかっさーの記事に、ざわざわしてしまった。
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アイドルのブログと言えば、支離滅裂な文章に自撮り写真を添えている子が多い中で(それはそれで何か本心を隠しているんじゃないかとも思うが)、
かっさーは自分が今、葛藤の中にいることを正直に伝えていた。
好きなものは好きだと素直に評価できる自分になりたいし、評価されない自分も愛せる自分になりたいとふと思いました。自分にとって価値のある評価と、無い評価も見極められるようになりたいですね。
他人からの評価が目に見えて分かってしまう世界で荒波に飲まれているからこそ、
16歳でこんなことまで考えてしまうのだろう。
アイドルとして、これを言語化して発信できてしまったところに、嗚呼、あやちょがいた組織だなぁ、とも思った。
人は、なんらか評価されて生きていくもの。
評価されると自分を肯定できる。
そうあるべきかどうかは置いておいて、誰しも評価された方が幸せだと思う。
そしてその「評価」とは、何かを基準にしなきゃいけなくて、それは「人」であることが多く、そうすると相対評価なのである。
人が組織の中で相対評価されるのは、世の常ですね。
そして受け取り側は、評価されないことに敏感だ。
悪い評価をダイレクトにもらったり、間接的に感じたり、単に評価をもらえなかったり。
そういった「悪い評価」を感じ取ってしまったとき、きっと誰かと比べて自尊心を失う。
一時的なことが多いが、私はそうだ。
「あの子はダンスがすごくうまくて選抜に入っているけど、私は呼ばれないなぁ」
「私の立ち位置、後列が多くてあまりよくないなぁ」
アイドルだったら、こんなシチュエーションがあるだろう。
それをバネに頑張るもよし、
他の良さを見つけるもよし。
他人を見ていると、そんな風に思える。
だけど自分ごとになると、簡単にはそうはいかない。
私は集団の中で「比較」されることがとても苦手で、
悪い評価をされるなら最初から意気込んで頑張らない、という癖がいつしかついてしまっていた。
そんな自分の癖を考えみたとき、
かっさーは自分への「評価」から出る変化を肌で感じて、それを真摯に受け止め、
自分がどうあるべきなのかもがいている。
大変素直である。
諦めたら試合終了の世界で生きていて、
子供ながらにたくさん考えているのだろう。
そんな素直さに胸を打たれた。
こればかりは避けられない問題だ。
1人で生きていけないのだから、集団の中で生きていく生き物なのだから。
だから、どんな評価を受けようとも、
自分らしく「在る」ことがどんなに大切か、
そしてそれがどれだけ自分を輝かせてくれるか、ということに改めて気付かされた、人間らしい葛藤の言葉達でした。